辛晩的スペシャルレビュー
  
  

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それは少年の夢からはじまった
〜ウェンディーズ一号店(コロンバス・オハイオ州)〜

地図

ウェンディーズの歴史はここから始まった。
 シンシナティを代表するファーストフードと言えばスカイラインチリだが、コロンバスの場合はそれは「ウェンディーズ」である。

 世界中で五千を越えるウェンディーズの第1号店がここコロンバスのダウンタウンにある。

 この記念すべき1号店は広い店内に所狭しと様々な資料が展示してあり、開店当時の様子を伝える新聞やメニュー、当時のユニフォームや ロゴの変遷などが並んでいる。

ウェンディーズの歴史
 12歳の頃から飲食関係の仕事をしていたディブ・トーマスは美味しい食事を家族みんなで楽しく食べれるような レストランを作りたいという夢をもっていた。 彼が24歳の時、コロンバスにバーベキューレストランを出資者フィル・クラウスと共に オープンしたディブに運命の出会いが訪れる。

ディブ(左)とカーネル(右)。カーネルはKFC人形そっくり。
 彼の名は「カーネル・サンダース」。 ケンタッキーフライドチキンの創業者である。フィルはKFCのコロンバスのフランチャイズを 買い取り、そのチキン部門(当時KFCはチキン以外にもいろいろ売っていた。)のチーフに任命した。

 1962年、フィルはその当時赤字だったテイクアウト部門を黒字にできたら、その半分近くの権利をディブに譲ると提案してきた。
 6年後、ディブは見事にそれを達成し、その権利をKFCに売り戻すことで、億の金を手にすることになる。 ディブが35歳の 時のことだった。

 翌年、彼は念願のウェンディーズ1号店をコロンバスにオープンさせる。 ウェンディーズの名前は彼の8歳の娘"Melinda Lou" のニックネームにちなんでいる。 ミランダはウェンディーズの看板のロゴにもなるのだが、その変遷は以下の通り

1. 普通のオハイオの女の子
2. スリムになって。
3. はい、良くできました。
 ちなみに彼女が来ている水色のストライプの服は当初のウェンディーズの制服だが、大人が着るにはあまりに 奇抜すぎるために不評で、やがて現在のものに変更された。(この制服も展示してあります。)

 日本では1980年に「銀座店」がオープンした。 この銀座店は現在日本1号店として、 コロンバス店と同じように日本でのウェンディーズの歴史資料を展示しているとのこと。

晩年のディブと
愛娘"ウェンディ"
 ディブは、自分を成功させてくれたコミュニティへの恩返しに多くの慈善事業を行った。 なかでも自身が養子だったこともあり (彼は自分の生みの両親を知らなかった。)彼は養子助成プログラムに多くの力を尽くし、自身も養子の為の基金を設立した。

 食品とサービスのクオリティにこだわり続けた彼の精神は今もウェンディーズの中で健在だ。 世界中に5300店舗以上のお店を 展開し、慈善活動を通じてコミュニティに恩返しをしてきたディブ・トーマス氏は2002年1月8日に永眠した。


 コロンバスに立ち寄る機会があれば、一度は行ってみてもいいかも知れない。 展示を見るだけでも充分楽しいし、カメラを 片手に記念撮影をしてるアメリカ人なんかもいてちょっとした観光地気分が味わえる。

とはいえ、メニューやサービスなんかはは普通のウェンディーズなんだけどね。

最終訪問日 2002年3月29日

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